進路選択を振り返る【きょうだい児・機能不全家族育ち】
きょうだい児の悩みで多いことの一つが「進路選択」。
正直、私は「これになりなさい」とは言われなかった。でも緩やかに選択肢を狭められていて、「あなたの自由でいいよ。ただしこの範囲で」感はあったなと。
あと、高校生の頃に「普通にならなきゃ」と思った出来事はあった。
まだ気づいていないこともあるかもしれないけれど、現時点で見えたことを振り返ってみます。
■中学時代
1年生の1学期の中間・期末テストは、5科目の合計が300点台後半(370~390くらいだった記憶)で、親は結構怒っていて、夏休みから塾へ行くことに。
塾へ行き始めたら勉強が楽しくて、成績も上がって、1年生の2学期から卒業するまで5科目合計が400点を下回ることがなかったのは覚えてる。
400点以上なら通知表の5が取りやすいこと、塾でも成績優秀者として扱われること、親に文句を言われないこともわかって、そこは下回らないよう頑張っていた。「400点下回るのは恥」くらいの感覚だった。
ただ今思えば、300点台後半って進学校は厳しいけれど、将来的に不安になるほど勉強が理解できてないわけでもないし、うちの場合、親は勉強できないわりに厳しかったな~と。
私は勉強が苦手ではなかったから苦しまなかったけれど、塾に行っても点数が上がらなくて、あの感じで怒られ続けてたら、きつかったかも。
コツコツ頑張った結果、高校は推薦で進学校へ。
■高校時代
学校が合わなくて、体調悪くなったり、なるべくサボったり。真面目に見られることも恥ずかしくなって、あえて成績を落とした。
そうするうちに、中学のときとは打って変わって、勉強が苦手になってしまったので、大学進学も後ろ向きに。専門学校の方が学ぶ内容としては興味があったものの、親は「大学へ行け」と。
学校は楽しくなかったし、高校生の頃から未来に希望が持てない感覚も強くなってきて。
中学生のときはアニメオタクで、それから声優になりたい!と言っていたのだけれど、高校に入ってからその気持ちがおさまった。
その頃に父から「声優を目指すのやめてくれてよかった。ママ(※妻)から『パパが好きなことしたらいいとか言うから、あの子が声優目指すなんて言っちゃって!』って怒られたんだよね」と聞かされて。(ちなみに父も進路妨害があったので、「良いお父さん」というわけでもなかった。詳しくはこちらに。)
母は私にはそんなこと全く見せてなかったから、本当はそういうふうに思っていたことにショックを受けたし、後から知ったのも悲しかった。
でも今は私にこの情報をリークしてしまう父がクソだったなと思う。話が逸れるけれど、こうやって親が「相手が悪口言ってたよ」系の話をリークしてくることがたびたびあって、私も子どもだったからそれに振り回されてたなと。父も母も私を自分の味方にしたかったのだろうか。
これは「普通」の人生を歩まなくては、という気持ちが強くなった出来事だった。
メンタル不調が強くなってきたのも高校生の頃で、ビジュアル系にドはまりしたのは高校生から。つらい気持ちを代弁してくれているところにすごく惹かれたのだと思う。
親は感覚が昭和のままだったので、「大学なんて人生の夏休みだから、そんなに先のこと考えなくてOK」という感じで、なんとなく興味のあった心理学系の学科のある大学に進むことに。心理学を選んだのは、今思えば「メンタルが不安定な人が人を救いたくなる現象」だったな…と。
なお、V系のライブの交通費を浮かせたいという思いから都内の大学を選択。
この辺、大学に行きたくても経済的な厳しさがあるお家もあるし、かなり恵まれてはいたのだけれど、弟に学費がかからない分の余裕はあったかと。「障害のある兄弟姉妹にお金がかからないから、あなたは得してる」系のことを親から言われるのは、きょうだい児あるある。
もちろん豪邸に住んでいたわけでもなく、一昔前の中流家庭のイメージだと。でも経済的な面では恵まれていたのは自覚してる。
■大学時代
親の言葉を正直に受け取り、人生の夏休みとしてライブに行きまくる生活を始める。
リーマンショックは起きていたけれど、時事問題を気にしていなかった。サークルの先輩の話などを聞いてるうちに、なんとかならなさそうなのに気づき、学歴フィルターが関係ないと言われる公務員を目指すことに。大学3年生の春から予備校に通い始めた。
ただ、待遇面だけで目指したわけでもなく、非常勤で公的機関で働く機会があって、公の仕事が自分に合っていると思ったのも理由。
今まで色々「この仕事に興味がある」と親に話したこともあるけれど、公務員は断トツで反応がよくて、特に夢もないし、親も反対しないなら、いいか~というのはあった。
ちなみに予備校のお金は全部親が負担。恵まれてますね。予備校で仲良くしてた子たちは、親が払ってくれる子がほとんどだった。
これは後から気づいたのだけれど、
「就職難だと公務員人気⇒予備校はお金がかかる⇒公務員になる人は経済的にゆとりのある家庭の人が多い⇒貧困問題から遠い公務員が増える」
という、あまりよろしくないことが起きるな~と。
■公務員時代~フリーランスまで
1年目でセクハラ被害に遭い、数年間我慢して、結局体調を崩してやめることに。
公務員やめる人が少なかったこと、特に「官⇒民」転職は珍しかったこと、やめてもまた被害に遭うかもしれないと思ったこと、#MeTooより前で性暴力に関する情報が今のようになかったこと、試験勉強がんばったのにやめたくなかったこと、お金出してくれた親に申し訳なかったこと……などから、耐えるしかなかった。
母はセクハラ被害に関しては二次加害をしてきたものの、公務員であることにこだわりはなかったようだった。
父と父方の祖父は公務員である私が好きだったみたいで、父は休職中に「1%でも辞めない可能性があるなら辞めない方がいい」と言ってきたし、祖父はフリーランスになってから「もっとがんばって(公務員が上でフリーランスは下というニュアンスを感じた)」的なことは言ってきた。
フリーランスになったのは、体調的に他に選択肢がなかったから。
公務員というきょうだい児に多い仕事をファーストキャリアで選択したものの、その後フリーランスのライターというきょうだい児っぽくない仕事をしている。
こうやって進路選択の経緯を振り返ると、イメージのしやすい教育虐待のようなわかりやすい出来事はなかったけれど、やっぱり地味に影響を受けたことはあったかな…と。
「親のからかいがつらかった。」にも書いたように、とにかくストレートに応援されることがほとんどなくて、小さい頃からのからかいの積み重ねで、「親は自分を応援してくれる、相談したときに味方になってくれる」という信頼感を築くことができなかった。未来に希望が持てない、自己効力感が低かったのはその辺も影響しているのだと思う。だから、進路関係ではきょうだい児というよりは、機能不全家族の側面の方が影響が大きかったと分析。
生きづらさを抱えているきょうだい児でも、進路について親が「これにならなきゃダメ!」みたいな感じとは限らない、状況は色々です~ということは書く意味があるかなと思い、書いてみました。
広義では進路に含まれるだろう「実家を出たタイミング」については、きょうだい児であることの影響がめちゃくちゃ大きかったので、これはまた別の機会に。
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雪代すみれ
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