親のからかいがつらかった。(毒親・アダルトチルドレン)

私が生まれ育った家では「からかい」が日常でした。
雪代すみれ 2024.10.20
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親にされてつらかったことの一つに「からかい」がある。

小さい頃から大人になるまで、両親ともコミュニケーションの軸が「からかい」だったと言ってもいいすぎではないくらい、日常的だった。

小さい頃は、歌うのが好きで、家の中でもよく歌っていたし、ピアノも習っていた。あるとき「ピアノやってると思えないような音痴」と言われてから、人前で歌うのが嫌いに。

算数の文章問題が苦手なことや、ぼーっとしてて気づかなかったときに「ゲームばかりやっているから考える能力がない」「ゲーム脳」と揶揄された。私が小さい頃からゲームばかりやっていたのは、障害のある弟に手がかかるという理由が大きくて、親が一緒に遊んでくれることも少なかったから。

真面目すぎるところもからかいの対象で、だんだんと「しっかりしている」と言われる自分のことも嫌いになった。

衝撃的だったのは、高校生のときのこと。授業で鮭の卵を持ち帰って孵化させる宿題があり、母が「育てたい」と言ったので任せていた。

ある日、帰宅したら私の部屋の机に小魚が置いてあって、「どうしたの?」と聞いたら、「飛び出して干からびて死んじゃったんだよね」と言いながら、その場で母が食べだした。

状況が掴めなくて呆然としていたところ、笑い出す母。父も「ね、すみれなら騙されるって言ったでしょ?」と私の部屋にやってきた。真面目な私なら騙されるだろうと思って、お菓子のにぼしを机に置いて反応を見ることを、両親で共謀したらしい。

新卒で入った職場で、1年目にセクハラ被害に遭い、動揺しながら帰宅、セクハラされたことを話したときに、母は爆笑。「全然おもしろくない」と抗議したものの、私の怒りは届かなかった。

セクハラおじさんのいる職場に行くのがつらくて、メンタルを保つために声楽を習い始めた。#MeTooよりも前だったから、どうしていいかわからず、自分で色々試すしかなくて。

どうせバカにしてくると思っていたので隠していたものの、毎週同じ曜日に帰宅時間が遅いことをしつこく聞かれ、しぶしぶ話したところ「習ってなんの意味があるの?」と鼻で笑われた。そういう反応が返ってくるのがわかってたから言いたくなかったのに。趣味で習い事することの何が笑うようなことなのかもわからなかった。

父は小さい頃はキス・ひげの押しつけ・くすぐりなどを嫌がってもやってきていた。中学になっても、酔っぱらって帰宅し、こちらはお風呂を済ませてるのに、臭くて汚い状態で抱き着いたりキスしてきたりするのは、気持ち悪かったのも覚えている。

父は人の選択や好きなものをバカにするのが好きな人。趣味のからかいもウザかったけれど、本当に嫌だったのは進路選択の妨害行為。

まず高校受験の際、夏休み頃には学校見学を終えているのに、秋頃になって「本当にこの学校でいいの?落ちたら?頭いい人ばかりだと着いていけなくならない?もう一度考えなおしたら?」と言われた。

ちなみに偏差値的には足りていたから、無謀な挑戦を止めようとしていたわけでもない。「そう思ってるなら、なんでもっと早く話そうとしなかった」と怒りが沸いた。

応援されないことが悲しくて、自暴自棄になって、見学に行ったこともない学校に志望校を変えようとしていたけれども、母がストップをかけて、当初の志望校を受け、合格。

大学受験でもほぼ同じことが起きた。また3年生の秋頃に「この学校で本当に大丈夫なの?」と。ただ、高校に入ってから真面目に見られるのが嫌になって、意図的に勉強しないようにしていて、大学も親に行けと言われたので、渋々選んで受けていたくらいで。第一志望は奇跡でも起きない限り、受からないだろうと思った。でも目標を高めに設定しなきゃいけない感もあって、その大学を選んだだけで、そんなに思いもなくて、「またかよ、うるさいな」くらいだった。

そして、就職活動のときも、また同じようなことが。筆記試験のある月(つまりとっくにエントリーシートを出してる時期)に「市役所ってそこに住んでなくても受けられるの?」と。

就活のときは、3回目だから「真剣に一緒に考えるほど興味はないものの、口は出したい」のだとわかって、うんざりした気持ちで聞いていた。加えて、今言語化できることがある。父は私に自分を超えてほしくなかったんだと思う。

当時、公務員バッシングがひどかったこともあって、公務員試験に合格したことを、会社の人に言わないでほしいと伝えていたのに、飲み会でしゃべってしまったうえ、ご丁寧に周りの人から「どんなコネがあるんですか?」とイジられた報告までしてきた。娘が頑張って勉強してきて合格したのに、こんなこと言われて怒らない父親もおかしいと思う。

さらに入庁したら、ニヤニヤしながら初任給がいくらか聞いてきた。

娘が公務員試験に受かったのは自慢したい。でも自分より優秀になってほしくない。あくまで私は「トロフィー」だったのだと。

セクハラおじさんのいる職場にいるのが限界を迎え、我慢して出勤するのもつらくなった頃、母から「なんでもっと早く相談しなかったの?」と。本当にふざけてるなと。爆笑されたから相談する気にならなかった話をしたけれど、全く覚えていなかった。

小さい頃からのからかいの積み重ねで、「親は自分を応援してくれる、相談したときに味方になってくれる」という信頼感を築くことができず、小学生低学年の頃には「どうせバカにしたり怒鳴ったりするから相談したくない」と思っていた。

ただ、親のからかいがおかしいと気づいたのはここ数年のこと。他の家で親がどう接しているかを知る機会はなかなかないし、うちの場合、「弟に障害があるから、障害児育児は大変だから仕方ない」という強い要素があったから、親の理不尽な言動に気づくことのハードルが一般家庭よりも高かったと思う。

そして、親の言動がおかしいことに気づいた先に、自分も子どもの頃から、大人になってからも、親にされた振る舞いを友達にコピーしていたことに気づいた。

当然、親しい人は少なくなる。

人を傷つけてきたことを自覚して、後悔したし、もう謝る機会のない人もたくさんいて(今更謝られても……という人もいるだろうけれど)。

「被害者が加害者になる」ことを自分でやっていた。親のふるまいの影響は大きくて、それに関しては被害者だけれども、自分のやったことには責任がある。関わった人の数も考えれば、一人ひとり、私にからかわれたことをどう思っているかは違うだろうから、単純化できない話でもあって、スッキリしたことは言えない。ただ、自分がやったことを忘れないように、後悔し続ける。

怖いのが家庭の機能不全に気づかなければ、一生気づかないままだったかもしれないということ。それくらい、からかうのが普通だったから。

気づいたうえでも、自覚し続けないと、ふとした瞬間にやらかしそうで怖い。それくらい染みついてしまったもの。

親のからかいの言動はひどいものだったし、許してはいないものの、憎み続けているわけでもなくて。もう距離を置いているので、関わることがなければ、どうでもいい。

たとえ今さら親が謝ってきたとしても、子どもの頃に刻まれた、からかいの日常が変わることはないし、むしろ謝ってほしくない。気づいてすぐ謝られても、「もっと自分の中でじっくり向き合ってよ」と思う。それに「許さないといけない」みたいな感じになりたくないから。

親と離れて安心できる生活空間を確保できた今、私は親から影響を受けず、自分で自分を癒すことができる。だから親はいらない。

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雪代すみれ

●X(旧Twitter):https://twitter.com/yukishiro7946

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